本当にヘアカラーが好きで上手いひと。 #jooji本
Jooji本が手元に届きました。jooji本というのは、2017年に亡くなった美容師jooji氏のヘアカラーの技術、理論等を纏めた本で、クラウドファンディングにより出版され、出資した方のみが手に入る主にヘアカラーの教則本と言いますか、バイブルと言いますか、私もその1人でようやっと手元に届いた所です。
まずはこの本の出版にあたり、亡くなったjoojiさんの膨大であっただろう理論、写真etc.....纏めて下さったスタッフ、そして出版に直接関わった美容師の方々にまずは感謝、御礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
パラパラとめくっただけでも感動するほど、圧巻のヘアカラースタイルの数々、そして緻密な理論が詰まっていました。まだ全ては読めていませんけど、隅から隅まで読み込みたいと思います。
最近実はブリーチブームと言われています。ブリーチを使用したハイトーンカラー、デザイン性の高いヘアカラーが多くなってきました。
ボクもそういうカラーをデザインすることがある美容師として、joojiさんの存在は、ブリーチの神様、塩基性カラーの魔術師などで知られ、SNSを通じて、質問など交流もさせて頂いたことがあります。
今よりもずっと前からブリーチを使ったヘアカラーに取り組み、日本人の髪質ではかなり難しい、18、19レベルのアンダーレベルでのデザインをつくってこられた圧倒的尊敬に値するアーティストでした。
ブリーチブームと言うと、ボクが美容師になりたての頃、今から20年ほど前にヴィジュアル系バンドや、浜崎あゆみさんのミュージシャン達がハイトーンカラーの髪をして、それに憧れをもったコたちが雑誌の切り抜きをもって美容室に来てた時代以来じゃないでしょうか。
時代は変わって現在。昨年ヘアカラー界は激変します。ブリーチなどを施術をする際、
一番懸念されるダメージ。それをかなりケアできる薬品が日本でも解禁されます。
ブリーチをしても以前より傷まなくなりました、髪が切れてしまうことも随分減りました。ブリーチを使うデザインをする美容師からすると、ホントに魔法のような商材が沢山使えるようになったんです。
Jooji氏はさんな商材を使えない頃から、つまりかなりの難易度の中、ヘアカラーデザインをつくられてきました。そして。SNSでも書かれていましたが、ファイバープレックスを使い始め、色んなことを試したい…そんな矢先に亡くなりました。
この本には素晴らしい理論や、技術が詰まっています。そして、それを埋もれさせてはいけないと伝承して行かなければいけないと、尽力した方々の思いが詰まっています。
本当にヘアカラーが好きで上手いひと。
今現在joojiさんより恵まれている状況にいるボクらはしっかりと勉強して、負けないデザインを生んで、お客様を喜ばせなければって思います。
“Jooji
ドキドキ、、ドキドキ、、
僕がブリーチをするたび、女の子たちは鏡に写る自分を見ては ドキドキしていた。そして、そのキラキラした瞳には、僕の存在価値さえ見出せたのだった。
思い返しても僕の幼少期、 とりわけ、色に溢れていたわけでもなかったが時代的にか時代背景的にか髪の色が違う女の子の漫画やアニメに強く興味を持っていたことはなんとなく覚えている。
ひょんな事から美容師になり、若い時はひたすらコンテストばかりに出場していた。ウイッグカットやモデルカット、 フォトコンでは、ブリーチしてカラーをするブリーチonカラースタイルをよく作っていたのだが、当時の僕は そういうクリエイティブな作品とサロンワークとは別物と捉えていたみたいでサロンワークでブリーチをすることはほとんどなかった。
今から10年前、当時、僕は若い子らとファッションショーを繰り返ししていた。お洒落やファッションが好きな女の子たちはたくさんのコンプレックスを抱えていたし何よりも、髪色は、外国人かお人形さんみたいになりたがっていた。そんな女の子にブリーチメニューを提案して要望に応えていくと僕の働く店にたくさん来てくれるようになった。
そんな時期を数ヶ月過ごすなかで僕はひとつの答えに辿りついた。「ブリーチ専門店を作ろう」と。そして、ブリーチ専門店をオープンさせた。連日 朝から夜遅くまで女の子たちは押し寄せてきた。あの時 ああすれば、、こうしたらよかったかな!?とか、たくさんの失敗もしたし、たくさんの発見もした。そして、僕の中である種のルールだけが決まっていた。「僕からの制限はあまりしないでおこう」、「日本人だから、とか黒髪だからと言い訳もなしで。」
日々の発見が確信に変わっていったとき、レベルがあがり、ブリーチの可能性がどんどん広がりを見せていった。でも、本当に上手く綺麗なカラーができず、へこみまくる日々もたくさん過ごしてきたしかと思えば、噓みたいに綺麗にカラーができすぎて「俺はもしかして神なのかも!?」と思う日々もたくさんあった。笑
そうこうしてるうちに月日は、あっという間に流れ、ブリーチ専門店はオープン5年目を迎えようとしていた。当時の僕は、日本で最もブリーチしている美容師」だと思っていたし、そう自負していた。
だからこそブリーチカラーに関しては、日本で最も理解していなければならないと思っていたし、そうありたいと願った。その努力はしていたし、その時間は費やしているはずだと。そんな思いも重なってか、、ブリーチ専門店は大阪でしていたんだけど僕は 5年が経つ頃 ある思いに大きく膨らんでいた。「東京に出なきゃ。」当時の僕にとって、ブリーチ専門店は僕の美容人生そのものだったし、本当に好きすぎて、だからこそ、東京に出たいと思ったんだろうな。そして僕はとうとうブリーチ専門店を閉め、東京に出る決意をした。
僕の中で 表参道 原宿は美容師の聖地。顧客様もいない状況から、そこに出るのはだめだと思っていたので、まずは代官山に出てお客様を少し増やしてから聖地に出ていこうと決めていた。
東京に出ても順調にお客様が増えていき、一年少しで聖地 原宿へと進出することができた。
東京に出たことは本当によかったと思っている。そして、必然だったのか、偶然だったのか、今もわからないけどこの10年間 ブリーチ専門として活動してきたことを本当に誇りに感じているし美容人生そのものをかけて追求できることに出会えて幸せこの上ない。いまだにブリーチに関して、難しいこともたくさんあるけどカラーやブリーチが楽しくて仕方ないし。
よく、デザインや色の配置について聞かれるけどそこを入り口として入ることはほとんどなくて、世界観やテーマから入っていくからデザインなどはとめどなく溢れてくるし、やっぱりゲストの喜んだ顔はいつまでだっても嬉しいし、
もう、本当にブリーチやカラーについては使命感さえ感じさせてもらってて特に2017年入ってからは心境の変化があったのか、、僕とゲストだけの問題だけじゃなくて「継承 伝達 育成」そして次世代へと繋がるカラーの研究や確立なんてことも考えだしてるから,今迄ぼくが培ってきたデーターや経験などをもとに誰かが笑顔になればいいな。
そして、そして、僕はやっぱり ブリーチやブリーチカラーが好きすぎて、 そんな好きに囲まれていて幸せです。それと、今や僕のサロンワークはクリエイティブだし、ブリーチやブリーチカラーの未来は明るいし、楽しみでしかない。
最後に僕は本当にヘアーカラーが大好きすぎる。
2017年7月30日 神戸にて”
本当にヘアカラーが好きで上手いひと。
ヘアカラーが好きな美容師の端くれとして、常にこのひとの存在を忘れずに仕事をしたい。
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